M&Aにおける退職金とは?節税スキームや注意点について解説します

中小企業がM&Aを行う際、その企業の従業員の退職金や役員の退職慰労金の取り扱いはどのようになるのでしょうか?
M&Aで取引を行う売り手側と買い手側の経営者は、売り手企業の従業員の退職金や役員の退職慰労金をどのように取扱うことができるのか、また、その取扱い方によって、どのような効果が売り手企業と買い手企業に起こるのかということは、M&Aの手法の検討、決断をする際に非常に気になると思います。
また、M&Aの売り手企業と買い手企業、双方ともに、M&Aの実行の過程において、従業員の退職金や役員の退職慰労金の取り扱いで、経済的に有利な方法があるのであれば、当然、その手法を取り入れたいと考えます。
実際、M&Aを行う際に発生する売り手企業の従業員の退職金や役員の退職慰労金は、その取扱いによって、課税される税金の額が変わってきます。これらのことは、M&Aを実施する売り手企業や買い手企業にとっては、どのようなスキームを選択するか検討する上で重要な情報でしょう。
今回は、M&Aにおける退職金について、どのような取扱いが考えられるのか、また、その取扱いによって節税できるスキームなどがあるのかどうか、などについて解説しようと思います。
M&A時の退職金について
まず、M&Aを行う際の退職金の取り扱いの基本的な考え方について見ていきます。これらを知るためには、そもそも、従業員の退職金または役員の退職慰労金というのはどういったものなのか、そして、それがM&Aが行われる際にどのように取り扱われることがあるのか、についておさえておく必要があります。
これらを理解するために、まず、一般的な退職金や退職慰労金は従業員が受け取る他の労働対価や役員報酬と比べてどのような性質を持つものなのかについて理解し、そして、M&Aの時に従業員の退職金や役員の退職慰労金の取り扱い方法の選択によって、特に税制上どのような効果が生じるのかについて説明していきます。
一般的な退職金とは
退職金は、従業員が退職する際に給付される金銭のことです。従業員がその企業に長年勤労してくれたということに対する報酬や功労の対価として支払われると考えられています。よって、一般的に勤続年数が長くなるほど支給額が多くなります。
従業員の退職金は従業員のモチベーションの維持及び定着率向上の効果があると言われており、その支給は法律で定められているものではなく、退職金制度を設けるかどうかは、企業の自由です。
よって、それぞれの企業における退職金は、企業が定める方針や規則によって支給されるかどうかや、その支給額の算定方法が決められます。
従業員の退職金は税制上「退職所得」として取り扱われ、退職所得控除の適用を受けるため、税負担が軽減されます。一般的に自己都合退職では退職金は減額され、会社都合の場合の退職では退職金は割増されます。
一方、役員の退職慰労金は、その企業の経営や発展の功績に対して支払われるものと考えられています。従業員の退職金と同様、企業が退職慰労金を支払うかどうかはその企業の自由です。
従業員の退職金は規則によって定められていて、通常、その規定に従ってその額が算出され、粛々と給付される一方、役員の退職慰労金は役員退職慰労金規定などに定められた、役員報酬、在任年数、在任期間の会社の業績などに基づいた算出方法で計算されますが、実際の支給の可否や金額は株主総会での決議で決まります。
役員の退職慰労金も従業員の退職金同様、退職所得控除の対象となりますが、その役員の在任期間が5年以下の場合、退職所得の軽減措置がされないなど、税負担が重くなる場合があります。
また、不相当に高額な役員の退職慰労金は企業会計において、損金不算入とされる場合があり、企業側に税務リスクがあります。
M&A時の退職金について
一般的な従業員の退職金や役員の退職慰労金は、前述のような基本的な性質を持つものですが、M&Aの時に、従業員の退職金や役員の退職慰労金はどのように扱われるのでしょうか?以下に説明していきます。
M&Aの際には、従業員の退職金と役員の退職慰労金は、その取扱いの前提が違って考えられます。
従業員の退職金は、スキームによって支払われる時期は異なりますが、その従業員がM&A後も継続して勤める場合、従業員の退職金は、売り手企業で一旦支払われるか、買い手企業に引き継がれるかのいずれかです。
一方、役員の退職慰労金は、M&Aをした結果、役員を退職するかどうかによってその取扱いが変わります。M&A実施時に退職する役員には、売り手企業から退職慰労金が支払われ、その金銭は売り手企業の取引額で考慮されます。M&A実施時に退職しない役員については、売り手企業に残る場合も、買い手企業に移籍する場合も、一般的にその時点では退職慰労金は支払われません。
退職金はM&Aのスキームによって変わる
従業員の退職金や役員の退職慰労金の取り扱いは、M&Aのスキームによって違ってきます。違ってくる理由は、スキームごとで従業員との雇用関係や役員と企業の関係の考え方が変わってくるからです。
中小企業のM&Aで採用されることが多い「株式譲渡」と「事業譲渡」でのスキームの違いによる従業員の退職金と役員の退職慰労金の取り扱いの違いについて説明していきます。
株式譲渡の場合の退職金
株式譲渡はM&Aの種類の1つで、売り手企業が自社の株式を買い手企業に売却することで経営権の譲渡をする手法のことを指します。基本的には企業自体の体制は変わらずに存続し、経営権が売り手企業の経営者から買い手企業の経営者に移動します。その特徴に合わせて退職金の取り扱いも理解する必要があります。
従業員の退職金
株式譲渡によるM&Aが行われた場合、企業の経営権は移動しますが、会社の体制に変更はなく、会社と従業員の間の雇用契約やさまざまな制度も基本的には新しい経営者に引き継がれます。
よって、株式譲渡によるM&Aが行われた場合の従業員の退職金は、一般的には、株式譲渡後もそのまま継続されるため、M&Aの時点では退職金は支払われず、M&A後の従業員が退職する時に退職金が支払われる取り扱いになることが多いです。
しかし、前述した通り、退職金制度を設けるかどうかは企業の自由という側面があるため、M&Aの買い手企業の経営者が退職金制度を導入しない方針の場合や、既存の退職金制度と異なる退職金制度を導入する場合も考えられます。
このような場合には、一旦、従業員全員に退職金を支払ったのちに、新経営者の方針に従うということもあります。
役員の退職金
株式譲渡によるM&Aの場合でも、既存の企業の役員がそのまま残るということもあります。その場合には、M&Aの時点では役員に対する退職慰労金は支払われず、M&A後の役員が退職する際に、退職慰労金制度に基づき支払われることになります。
一方、役員が新体制での経営には参加せず退職する場合には、株主総会の決議を経て、退職慰労金を受け取って退職することになります。
株式譲渡によるM&Aが行われる前に退職する役員の退職慰労金については、旧企業の株主が支払いについて決め、M&A後に残った役員の退職慰労金については、買い手企業の株主が支払いを決議することになりますが、株式譲渡の対価に反映して役員の退職慰労金を受け取る場合には、譲渡前にM&Aまでの退職慰労金の金額を決めておくことが一般的です。
事業譲渡の場合の退職金
事業譲渡は、企業の一部または全部の事業を別の企業に売却することです。よって、売却した売り手企業は、売却した事業がなくなった状態で、M&A後も存続し続けます。
ここが、株式譲渡と事業譲渡の違いです。この違いによって、従業員の退職金および役員の退職慰労金の取り扱いがどのようになるのかを見ていきます。
従業員の退職金
企業の事業を他の企業に売却してしまう事業譲渡の場合、売り手企業と従業員の雇用関係は解消し、買い手企業と新たに雇用関係を結ぶことになります。
よって、基本的には事業譲渡をする時点で、従業員は、一旦売り手企業との関係が解消してしまうことに従って、従業員の退職金もそこで支払われるというのが一般的です。
すなわち、一般的には、従業員が買い手企業に転籍する前の時点で退職金を売り手企業側で清算し、事業譲渡以降の退職金については、新たに買い手企業側の退職金規定にしたがって、買い手企業を退職する際に支給されることになります。
この場合には、売り手企業が、事業譲渡する事業に従事するすべての従業員の退職金を支払うことになるので、売り手企業はその時点での資金負担が大きくなります。
もう一つの方法は、「売り手企業での勤続分の退職金を、買い手企業が引き継ぐ」という方法です。この方法によれば、売り手企業は資金負担をする必要はありませんが、後に争いとならないために、事業譲渡の際に従業員の退職金の支払いや額について、買い手企業と合意をしておく必要があります。
役員の退職金
事業譲渡によるM&Aを行った場合、売り手企業の役員は、そのまま売り手企業側に残ることが多く、そのような場合は当然、事業譲渡された時点で退職慰労金が支払われることはなく、その後、役員が売り手企業で退職する時点で残留した企業の株主総会の決議を経て退職慰労金を受け取ることになります。
このように、一般的には事業譲渡したとしても、売り手企業の役員は売り手企業側に残りますが、少なからず事業譲渡を機に買い手企業に移籍する役員がいることもあります。この場合には、移籍する役員については、売り手企業の役員を退職し、売り手企業の株主総会の決議を受けて売り手企業から退職金が支払われることになります。
退職金の課税について
まず、退職金の課税の基本的な考え方について理解をしておきます。
従業員の退職金や役員の退職慰労金は、従業員と役員それぞれの個人の所得になるので、その給付が行われた時には、当然、その所得に対する税金がかかってくることになります。
しかし、退職金には税制上の優遇制度があり、一定額までは非課税、残りの部分も「1/2課税」と言われる課税対象額の控除があり、税金の負担が軽減されます。
従業員の退職金と役員の退職慰労金の税制上の優遇の取り扱いの最も大きな違いは、従業員の場合は、非課税となる額以外の部分の「1/2課税」と言われる課税対象額の控除が従業員の在職期間に関わらずすべて適用されるのに対し、役員の場合は、在任期間が5年以下の場合には、退職所得控除した残りの額の1/2の額を課税対象額とするいわゆる「1/2課税」の適用がされないことです。
いずれにしても、このように、従業員の退職金および役員の退職慰労金に対しては、それを受け取る従業員および役員に対する税制措置として、優遇される制度があります。
M&Aを用いた「退職金スキーム」による節税方法
これらの従業員の退職金および役員の退職慰労金の支払いを、企業がM&Aを行う際にうまく活用すれば、企業の側にもメリットがあると言われています。
買い手の企業にも、売り手の企業にもそれぞれメリットがあるのですが、これらのメリットについて説明していきます。
買い手側のメリット
M&Aで売り手企業から買い手企業が、株式譲渡または事業譲渡で買い取る際に、売り手企業で従業員の退職金や役員退職慰労金を支払ってからの状態で買い取ると、その企業または事業は、退職金役職慰労金を損金算入した、すなわち損金が発生している状態で引き取ることができます。
買い手企業は、この損金を利用して、退職金発生年度の課税所得を減らすことができます。
さらに、このやり取りで、退職金発生年度の課税所得がマイナスとなった場合には、買い手企業は、翌事業年度以降に繰越欠損金として、課税所得と相殺することが可能になります。
また、取引前に売り手企業で退職金の支払いをしてもらっておくと、その支払いによって、売り手企業の企業または事業の純資産が減少することになり、売り手企業としてはその分安く取引できるため、調達する資金を少なくして買い取ることができるというメリットもあります。
売り手側のメリット
一方で、売り手企業側にも、M&Aの実施をする際に、従業員の退職金や役員の退職慰労金を支払うことで税制上のメリットを享受することができます。
売り手側が、M&Aで企業や事業を売却する前に退職金の支払いをすると、その分純資産が減少し、買い手企業と取引する企業や事業の売買価格が減少します。このことによって、株式譲渡の場合は売却益にかかる譲渡所得税、事業譲渡の場合は売却益にかかる法人税を節税することができます。
特に中小企業でオーナーである経営者がM&Aで企業や事業を売却する場合には、このメリットが大きく、役員の退職慰労金を留保したままで企業として売却した場合は、売り手企業として譲渡所得税や法人税がかかるのに対して、売却前に退職慰労金を受け取った場合には、退職所得控除などの税制上の優遇措置の恩恵を受けることができ、トータルでの課税額を考えた場合、大きな差が出ます。
M&Aで退職金を扱うときの注意点
これまで見てきたとおり、一般的にM&Aをする際には、売り手企業側で従業員の退職金や役員の退職慰労金を支払っておいた方が、従業員や役員、企業的にも税制上のメリットを享受できることがわかりました。
しかし、M&Aで退職金を取り扱うにあたって、注意すべき点もいくつかあります。これらについて見ていきたいと思います。
適切な金額を算出する
まず、M&Aの際に売り手企業で従業員の退職金や役員の退職慰労金を支払う場合、その額については、適正な金額で支払う必要があります。
特に役員の退職慰労金の場合は、前述したとおり、理由なく高額な退職慰労金と税務当局に判断されると、企業としては損金不算入の扱いになってしまいます。
これらを防ぐためには、従業員の退職金規定や役員の退職慰労金規定をあらかじめ定めておいて、それに従って支払うということが効果的です。
資金繰りに気をつける
従業員の退職金や役員の退職慰労金は、これまで説明してきたとおり、一般的に、M&A実施時点で、売り手側で株式譲渡や事業譲渡で取引する前に支払った方が節税効果を得ることができますが、一方でその支払いのためには、売り手企業側でその支払いのための資金が必要になります。
従業員や役員の人数にもよりますが、その額は相当な金額になることもあり、その結果、売り手側の企業はM&A後のキャッシュフローが極端に悪化することにもなりかねません。
よって、M&Aの際に退職金の取り扱いを決める際には、スキームごとの節税効果や必要な資金を充分に考慮し、売り手企業と買い手企業で検討、合意することが重要となります。
まとめ
ここまで、M&Aにおける退職金の取り扱いや節税スキームや注意点について説明してきました。M&Aを実施する際に従業員の退職金や役員の退職慰労金をうまく支払うことによって、従業員や役員だけでなく企業の側も節税効果を得られるスキームがあることがわかりました。
しかし、実際のM&Aでは売り手企業や買い手企業それぞれのその時のキャッシュフローや業績など、さまざまな状況の中でどのようなスキームを取るのが最善なのかということは変わってきます。
これらを適切にハンドリングするためには、M&Aや法律の専門家である弁護士のアドバイスを受けながら、退職金の取り扱いスキームを検討することが良いと考えられます。